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5年です。 [その他]

5年です。もう5年、まだ5年。復興したよ!と言いたいところですが、
まだまだ、あの時のままの建物がある。
決して、元通りになったわけではないし、一区切りではない。
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一年間を軽く振り返ってみました。 [その他]

2011年も間もなく終ります。
いろいろあったこの年をあの事以外で振り返ってみたいと思います。
1月は、社員?旅行北海道に向かったのですが、豪雪で、青函トンネルにすら
行けずに急遽青森市内の観光になりました。
2月は、旅行から帰った数日後に追突されて自身は怪我、車は、修理になりました。
3月は、あの事があった上に転勤がかさなりました。
4月は、新しいこどもたちと対面しました。
しかも、前代未聞の一つの教室に3つの学校のこどもたちという環境でした。
6月は、二人めの娘が、誕生しました。あんまり書けませんでしたがルーちゃんです。
8月は、夏休みを利用して、いろいろな被災地をまわりました。
あまりの様子に来ちゃんは、夜にうなされていました。2歳児なりに感じるものが
あったのでしょう。
健康診断で昨年より体重10kg減が判明しました!
11月は、来ちゃんの3回目の誕生日でした。ルーちゃんが、生まれてお姉ちゃんを
頑張っています。あまりの忙しさにお誕生会もかなり質素に
なってしまったのが申し訳なかったなぁ。
ちなみに、プレゼントなにがいい?と聞いたら、
ポテト!と言ってました。あんまりおもちゃに興味がないようです。
七五三に行きましたが、奥さんが着せた着物が逆で、誰も気づかずに
そのまますごし、後日写真で気付くというアクシデントもありました。
12月は、クリスマスに奥さんがインフルエンザになり、
来ちゃんの初サンタクロースだったのに、隔離されて見れなかった。
という残念なことになりました。
新しい家族が増え賑やかになった我が家。
今年はいろいろあったので、来年は、大人しく過ごせたらなぁ~と思います。
皆さん、来年もよろしくお願いいたします。



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295日目 [その他]

あれから295日目
どうやら今年も終わるらしい。

いろいろありましたねぇ。
秋口あたりから,あの時のことを思い出したり,映像,画像を見たりすると
無性に落ち着かなくなります。
あの時のことを思い出して,泣きたくなったり,気分が悪くなったりします。
見えてないはずの映像が,頭の中に入ってきます。
未だにあの時のことで,自分がしたことは間違っていたんじゃないかと思います。
保護者の方に引き渡したときに,
もっと強く避難するように勧めていたら,あの子たちは助かったんじゃないかと。
今更,考えてもしょうがないことをぐるぐるぐるぐる考えてしまいます。
で,そんなことを思った夜に限って,どろどろの波に追いかけられる夢を見ます。

でも,もっとつらい思いをした人がいるのに,情けなくも思います。

この頃,あの時のことを振り返る番組が増えてきました。
今も見ていますが,やっぱり気分が悪くなってきました。
でも,わすれちゃいけないんだと思ってみています。
目の前で人が亡くなった人にインタビューするのは,
正直いかがなものかと思う。
「一緒に逃げなかったんですか?」
とか,言っちゃいけない質問だと思う。
その質問には,「一緒に逃げたら生きていたじゃないですかと」
責められているようで。

えっと,このブログ,超不定期なんで呼んでくれている方は少ないかと思いますが,
せめてこれ,呼んでいる方だけでも良いので,年明けても被災地のこと,忘れないで欲しいなぁと思う。


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あの日から6ヶ月。 [その他]

9月11日。
あの日から6ヶ月がたちました。
6ヶ月前の今頃は,体育館で怖がる子どもたちをなだめながら
お家の人たちに引き渡していました。
津波のことなんて全く考えていませんでした。

さて,ニュースでは原発のニュースもだいぶ少なくなり,
もしかしたら,地震のこともすっかり話題にすらならなくなった地域も
あるんじゃないでしょうか。
被災地にいる身として,6ヶ月たった今をお伝えできたらなと思います。
昨日,義妹が神奈川から震災後初めて帰ってきたので,
沿岸部を気仙沼まで行ってきました。
かつての様子を知る身として走りながら胸が苦しくなる景色が続きました。
写真はとっておりません。と言うか撮ろうという気になりません。


生活では,家がなくなり,仕事も失った人々は,仮設住宅に住みつつあります。
当初政府が行っていたお盆前に完了は,ありませんでした。
考えてもみてください。交通手段がない山の上に,車を失った人たちやお年寄りが
果たして住めますか?
避難所から仮設に入ったら,支援が全くなくなる。
仕事もなく,あれから6ヶ月貯金を食いつぶしてきた人たちが
少なくとも避難所にいれば,食べ物はある。
不便な場所の仮設にいくよりも,プライベートはないが元いた場所に近い
避難所を選ぶのも当然ではないでしょうか。
国は,ここ6ヶ月何を見てきたのでしょうか。
市や県には過度の期待しません。なぜなら働いている方々も被災者多数ですから。

学校です。私の住んでいる石巻は,ニュースでも取り上げられているとおり
沿岸部が壊滅的被害を受けました。
学校もかなりの数の校舎が被災し,
多くの児童が新しい学期を迎えられませんでした。
被災した学校は,近隣の小学校教室を間借りして授業を受けています。
しかし,石巻市の町中の学校は仮設校舎を建て9月より仮設校舎にて授業をしています。
一方で,合併前の旧町では,未だ仮設校舎の建設の予定はなく,
片道40分をかけて登校している児童もいます。
お家の方も,このまま学校がなくなるんじゃないかと不安に感じています。
我々,職員も先が見えず不安の中,子どもたちと過ごしています。

授業中など,未だに余震がくるとビクッとなる児童がいます。
私の知り合いの先生のいる学校の児童はあれ以来,プールに入れなくなったそうです。

給食も近隣の市町は業者と提携したり,自校の設備を改善したりして以前の
給食に戻りつつある中,石巻市は,依然として,簡易給食が続いています。
ご飯(またはパン),おかず,牛乳。でおしまいです。
私の学校では,ツイッターでつぶやいたところボランティア団体が
毎日炊き出しをしていただいて,不足がちの野菜を提供してもらっています。
ただ,小規模だからできるのであって,市内のほとんどの児童が十分な栄養をとることが
できないでいます。
震災以前より,家庭の状況で,給食のみが栄養源という児童が多くいる地域など
かわいそうで仕方がありません。

被災した土地は,雑草が生い茂り,家の基礎を覆い隠し,もともと荒れ地だったのかと
思わせるような感じになりました。
瓦礫も一カ所にまとめられ,おおきな山がつらなっています。
公園という公園に仮設が立ち並び,子どもの遊び場所もすっかりなくなりました。

あれから6ヶ月。
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情けは人のためならず [その他]

このごろ朝,寝起きのライちゃんに
「ぱぱ,もう仕事に帰っちゃうの?」
と言われ,ちょっとショックです。
割と,家にいて相手をしているつもりなのですが・・・。

さて,101日目です。
今日は,びっくりすることがありました。

ことは,震災後すぐにさかのぼります。
私は当時の勤務校で,悪戦苦闘していた頃の話です。
うちの父は,かなりのお人好しです。
困っている人がいると放ってはおけません。
息子の口から言うのも何ですが,馬鹿じゃなんじゃないかというほどです。

そんな父が,妹の同僚の車を流されてしまった先生を利府まで送っていった帰り
(もうこの時点で,お人好し炸裂。)
利府街道を歩く一人の人に声をかけました。
「どごさ,いくの?」
その男の人は,
「石巻です。」
「ちょうどいい,いまがら,かえっところだから,のってかい。」
と見ず知らずの人を逆ヒッチハイク

話を聞くと,多賀城の仕事場で被災。
ちょうど奥さんが,出産した直後で実家の女川に帰っていた。
ただ,幸いにも,震災の日は,日赤で検診だったはずなので,津波には遭っていないと思う。
お昼に電話したときは,まだ,検査が長引きそうという話だったので,それを信じて日赤に向かう
とのことだった。間違っても実家に帰っていないことを願いながら。

で,うちの父も女川出身だったものだから,そのことを話し。
うちの息子の嫁も今,妊婦さんだということ,学校の先生をやっていたことなどを話しながら
日赤に送っていきました。
別れ際に,「お名前と電話番号を。」と聞かれたようだが,
「ん,こんなどぎは,お互い様だっちゃ。まず,奥さんみつかっといいね。」
と名乗りもせず,分かれたそうです。

で,今日,地元の駐在所から
「びょん父さん,今,駐在所に,多賀城から来たって言う人がいて,
話聞いたら,どうやら,びょん父さんのことっぽいんだけど,
心当たりある?」
との電話がありました。
どうやらその方は,地元の場所,学校の先生,女川出身,息子の嫁が妊婦という
キーワードだけで,実家を探していたのです。

久しぶりの再会,奥さんは,日赤で被災し,お姉さんの嫁ぎ先に身を寄せていて無事だったとのこと。
自分の仕事場は壊滅で,自分は今,郡山単身赴任をしていることを話して,
息子さんのお子さんに(るーちゃんのこと)とおむつと肌着をもってきてくれました。

私自身は直接お会いすることはありませんでしたが,
その方の義理堅さに頭が下がりました。

ちなみに,駐在所から電話が来たとき,
「ん,たぶん,俺のことだと思うけど,何人も乗せでっから,だれだべ?」
と思ったそうです。

確かに,私が知っているだけでも3人の方を逆ヒッチハイクしています。

もう,問答無用で,父にも頭が上がりません。
尊敬しています。


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平等?不平等? [その他]

明日で,震災から100日目を迎えます。
あの日は,雪がちらつく寒い日でした。
今は,夏日にもなる日も出てきました。
がれきの多いところは,ハエや蚊,蜂などに悩まされている
毎日のようです。これから暑くなると食品の保存など
避難所では,かなり衛生面が厳しくなる状況です。
我が,石巻は,さっぱり,仮設住宅が間に合っていません。

さて,今宮城ではプールの使用が禁止されています。
表向きには,震災でプールを動かすための予算が厳しいと言うことになっていますが,
一部では,プールの設備が壊れた学校に対する配慮とか,
プール掃除のため,プールの水を流すと,下水があふれてしまうからとか
(かなり信憑性有り,市街地で,被災した学校の周辺の下水はまだ回復していない)
放射線が怖いからとかいろいろ言われています。

放射線対策の場合だったらしょうがないですが,
プールの設備が壊れた学校に対する配慮だった場合
被災した学校から言わせてもらえば,別に他の学校が入っても別に,いいですよ。
って感じです。かえって暑い中,楽しみにしているプールまで奪ってしまうのはどうかと思います。
うちが入れないのに,向こうの学校は入れて不平等だ!というつもりはありません。
少なくとも,他の学校には。

しかし,それが,一緒にいる場合は別だとおもいます。
校舎そのものが被災したため,他の学校に間借りしてる学校が県内にたくさんあります。
ほとんどの学校は,教室をお借りして,自分たちの学校だけで授業しているケースが多いのですが
一部の学校では,教室数の問題で元々のA学校の5年生の教室にA学校とB学校の5年生が
一緒に授業するというケースもあります。

そんな特殊なケースでも,3ヶ月目を迎え,最初は,よそよそしかった子どもたちも
すっかり慣れて一つのクラスとしてまとまってきました。
そんな中,私個人「?」と思うことがありました。

6月に入って,ようやく1年生を迎える会がありました。
そのなかで,自分たちの学校の校歌を発表する場面がありました。
被災した学校の児童は,ピアノ伴奏による発表をしました。
それが,当たり前だと思っていました。
しかし,我々が間借りしている,学校は,鼓笛隊による伴奏を行ったのです。
確かに,その学校は,校舎そのものは被災しておりません。
なので,楽器はしっかりとあります。
おそらく,毎年の迎える会でも鼓笛隊による演奏を行っていたのかもしれません。
しかし,それ以外の2校は,被災して楽器・楽譜など有ろうはずが無く,
演奏したくてもできない状態にあります。
でも,しょうがないよね。って気持ちになっていたはずです。
それなのに,その前で,自分たちはしっかりと鼓笛隊での演奏をしたのです。
自分は,はっとしました。
被災した学校の児童の気持ちはいかばかりでしょうか。
6年生は,今年最後でようやく楽器が使えるようになり,春に向けて一生懸命
練習していたでしょう。運動会で発表することを心待ちにしていたに違い有りません。
しかし,被災して楽器も流され,もし楽器があったとしてもとても練習する状況にはありませんでした。

演奏した学校にしてみれば,運動会でも披露する場がなかったし,
せっかく練習してきたのだから,1年生の前だけでも発表させてあげたいという気持ちがあったのでしょう。
確かにその気持ちもわかります。でも,自分たちだけで,生活しているだけならかまわないのですが,
それを見せられた他の学校の児童の気持ちも考えてほしかったと思います。

後で,上学年の児童が,「いいなぁ,うちも一生懸命練習したのになぁ。」
「楽器があればなぁ。」と話していたのが凄く悲しかったです。
保護者の方も,その状況をどう思うでしょう。

これは,あくまでも私個人が思ったことです。
子どもたち自身は,それほど気にならなかったかもしれません。
ただ,私自身凄く残念だったことは確かです。

誰か,鼓笛の楽器,支援してくれないかな。(これが一番いいたい(笑))

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妹誕生 [子ども]

震災から,3ヶ月目の今日。
本来ならば,3ヶ月目の被災地の様子や感想などを書き込めばいいのですが,
本来,このブログは,娘大好き親ばかブログなので
(↑違います,ビリーズブートキャンプブログのはず)
この時期ではありますが,ちょっとおめでたいことを書き込みたいと思います。

過日のブログで書いた運動会の日に,生まれた,
2人目の娘が病院から退院し,我が家にやってきました。


ちなみに,1人目のライちゃんは,
ら・ブログ用.jpg
こんなに大きくなりました。2歳7ヶ月。
ただ,最近は,お菓子の食べ過ぎか,一時期しゅっとなったにもかかわらず,
また,ぶくぶくなってきました。

まぁ,このとき,
09rai9.jpg
よりはましですが。

お姉ちゃんとして,日々言い聞かせてきた成果か,
生まれる前から
「生まれてきたら,いいこ,いいこしてあげるの。」
「ほんよんで,あげるの。」
と話していました。

その一方で,どこで覚えたのか
赤ちゃんがえりするの。」
といって,自分で食べられるようになったはずなのに,膝に座って
あーんをして食べさせろの要求もするようになりました。

そんな姉のライちゃん
兄?のリーフが
CIMG0450.jpg
が待ちに待った???妹が誕生しました。

予定日が運動会の日とかぶっていましたが,地震の時にかなり動いたのが
影響して,早産になる可能性が高いと医者から言われていたので,
運動会は大丈夫だろうと思っていたのですが,
待てど暮らせどいっこうに生まれてくる気配が無く,運動会の前々日になりおしるしが。
いやぁな予感をしながらも,運動会当日。
「んー,おなか痛いけど,まだ大丈夫そう。」
という奥さんの言葉を信じて学校に。
朝の準備をしている最中に
「ごめん,病院行くから」
のメールが。あわてる自分に,周りの先生からのあたたかい言葉が
「今年は,いっぱい先生がいるから,子どもたちは大丈夫。でも,奥さんには,先生しかいないんだから
病院に着いていってあげな。」
3校合同運動会という,前代未聞な運動会でしたが,
先生たちに,子どもたちを任せ,大あわてで家に帰り,奥さん,ライちゃんをのせ,病院に。

まぁ,病院に着いたところで,奥さんに対して何ができるわけでもないんですが,
苦しんでいる奥さんの腰をさすってあげようにも,逆にじゃま扱いされました。

11時30分に分娩室に奥さんが入りました。
残念ながら,自分は,病室で待つように看護師さんから指示がありました。
ライちゃんは,待っているのに飽きたので,義理の妹に一度家に連れて行ってもらったので,
一人手持ちぶさたで待っていました。
まぁ,ライちゃんのときは,病院にすら,入れなかったことを考えるとちょっとはましか。
など考えながら無事生まれてくるのを待ちました。

12時20分 無事,女の子が誕生しました。
でも,カンガルーケアとやらで,2時間は分娩室にいるとのことで,
また,しばらく待ちぼうけ。

14時30分 飽きたー。と思っていたこと。病室のドアが開いて,
看護師さんが,赤ちゃんを連れてやってきました。
「あ,ちょうど,お父さんいたね。ちょっとだっこしてて。」
といきなり渡されました。
「????」
心の準備もなく,いきなり渡された我が子。
ライちゃんのときは,小さくて壊れそうだったので,なかなかだっこする勇気が
でなかったことを考えると,ちょっと成長?

ちなみに名前は,
ライ
リーフ
頭文字がラ行だったので,じゃ,続けようかという安易な考えに
奥さんも賛同し,
ルから,始まる名前になりました。
ルーちゃんとおよびください。
る・ブログ用.jpg
ルー・ライです。
あんまりにてない気もしますが。どうでしょう?

さて,6月5日をもってお姉ちゃんになったライちゃんですが,
早速,初対面の時からお姉ちゃんぶりを発揮し,
る・ブログ用2.jpg
いろいろと話しかけていました。

家に着いてからも,自分の絵本を引っ張り出して,
眠っているルーちゃんに,絵本を見せてあげていました。
大好きなママが,妹にかかりきりになるのは,これからが本番ですが,
今のままの優しいお姉ちゃんでいてほしいと思う,パパでした。
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運動会 [その他]

6月になりました。梅雨の季節です。
今週初めに,台風からの温帯低気圧で,ここ被災地は大雨・暴風!
防波堤は,3.11でかなりのダメージを受けていて役に立たない状態になっているため,
土嚢を積んで応急処置をしていたが,この暴風による高波で決壊。
ただでさえ,満潮時になると沈む道が,「え?ここ海だっけ?」状態に。

気がつくと沿岸部の一部は,陸の孤島になっている箇所ができました。
かくいう私の学校の児童もその中に入っており,スクールバスが道路冠水のため運行停止。
ようやくできた仮設道路(砂利道)をつかって,車酔いで顔面蒼白になりながら30分以上かけて
やってくることができるようになったのに・・・。

それでも,昨晩ようやく開通して,今日から無事こられるようになりました。
ただ,砂利道は,でこぼこ具合がさらにひどくなったようで,顔面蒼白ではすまなくなった。
学校には行きたいけど,車酔いがこわい。という児童も。

さて,そんな状態ですが,今週末運動会があります。
三つの学校が一つの学校に集まるというかつて無い状況の下,合同運動会です。
子どもの元気に走っている姿を地域の方に見てもらって,
気分を盛り上げようという考えです。
月曜日から木曜日までこれなかった,うちの学校の子どもたちは,ほぼぶっつけ本番です(笑)

今日は朝からボランティアさんが大量に来てくれて,ここ数日続いた雨で校庭が
ぐちゃぐちゃだったのですが,スポンジで水を吸い取ってくれたり,トンボで整地してくれたりしました。
当日も,運動会後炊き出しをしてくれたり,バザーをしてくれたりするようです。

天気はもつようなので,いい運動会になりますように。

追記
ビリー隊長のWiiのコマーシャル見ました。ぱくりCMに唖然としながらも
やってみたい感じがひしひしと。
時間も体力もないが・・・。早くビリーやりたーい。
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2ヶ月半の今。 [その他]

あの日から,2ヶ月と11日。
がれきも片付き,だいぶ変わった町並みとあの日から時が止まったままのような地域と
不思議な気持ちで学校に通っております。

市内のガスが復旧したとやらで,協力隊の解散式をしていましたが,
復旧したのはあくまでも都市ガス。
しかも,合併前の石巻市の中。

がれきもきれいになったと言ったが,それもやっぱり
旧石巻市内のしかも大通りだけ。
未だに釜,大街道の工業港側に行けば,あの人あまり変わらない風景。
自分の車も流されたその場で,救出?搬出?を未だに待っている。

さらに,合併され石巻になった地区,河北(一部),北上の沿岸地域は,
いまだに,電気が来ていない地区もある。電気は来ても水道がまだ。
がれきの撤去もままならない。頼みはボランティアのみだが・・・。

この間,地元出身者の方が,子どもたちのために昼食を作ってくれたが,
それを食べた子どもの台詞
「久しぶりに,温かい料理食べた。おにぎりとカップラーメンばっかりなんだもん。」
聞いてて涙が出てきた。
未だに給食は,パンと牛乳。先週からちょっとしたデザートがつくようになったが,
炭水化物オンリーで,栄養バランスが悪いのは相変わらず。

震災以前から,給食が唯一の栄養バランスのとれた食事だった児童もいた・・・。
6月からは,おかずもつく予定だが・・・。

石巻にとって,市内とはあくまでも旧市内のことで有って,合併以前の町は
2の次なんだろうなぁ。と思う復興スピードである。

ちなみに,このブログは,ビリーズブートキャンプのブログである。
少しずつやせては,リバウンドし,また入隊し・・・。
しかし,この2ヶ月の激務のおかげか,5kgのダイエットに成功。
ここ何年かで一番からだが軽い状態になっている。
久しぶりにあった,保護者からは,やつれているという表現だったが・・・。

また,ビリーの話題や,娘の話題,猫の話題が,続くといいなぁ。

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学校はじまる。 [その他]

学校が始まった。
被災して,かつ避難民がいる学校では,
1階の1学年1教室にぎゅうぎゅうに詰まって新年度を迎えた。
2階,3階の避難所には,一家族しか入っていない教室もある。
それなのに,普通教室以外の教室もたくさんあるのに,移動していただけない。
学校が始まる日は,しっかりとわかっているし,
以前までは,子どもたちに学校を返してあげないとねぇと言っていたにもかかわらず。

今日は,まず,青空のもと,校庭で始業式を始め,
その後,机も椅子もない教室にすし詰め状態。
少なくて60人以上が一つの教室に。
これでは,普段の授業ができようはずもない。
しかも,1階は5つしか教室がない。
来週1年生が入ってきたら,入る教室がない。
入学式はするけど,それ以降休校かもしれない。

市の説明は,16日に行った以降全くなし。
体育館はいつ移動してもいいように準備はしてあるが・・・。
さっきもいったが,普通教室以外にも教室はある。
避難民すべてが,入れない数でもない。
避難民のプライベートの問題もあるが,学校は子どもたちのものである。
帰る当てもなく,ここにいるしかない避難民の立場もわかるが。

それにしても,市の対応が悪すぎる。
3日前になって,21日こだわらない。なんて言い出すのも遅い。
では,延期します。なんて,ふつうできないでしょう?
ましてや,連絡する時間も手間もかかる。学校の電話で対応できないので,
児童に連絡するのは自前の携帯。通話料は当然自腹。

子どもたちから教育の機会を奪っているのは,間違いなく,彼らだ。
それでも,少しでも避難民の方も協力してもらいたい。

少なくとも学校内で犬を飼い,
糞尿を学校の中でさせるようなことはやめてほしい。
アレルギーの子どもだっている。
避難民がたとえ体育館に移動してもらったとしても
そこを教室として元に戻すためには,
掃除,消毒などで1週間はかかるだろう。

別の学校では,一つの学校に,3つの学校が集まって授業をする。
しかも,荒れ果てた町,海のすぐそばの砂利道をバスに乗って登校しなければならない。
臨床心理士は,乗り越えるためにも無理に見せないようなことはしないで,
現実をしっかりと理解させるためにも見せたほうがいいとのアドバイスがあったらしい…。
ちなみに,今日の満潮時は,海から水が道路にあふれ出た。

中には,そんな危ない道を通ってまで,行かせられないという保護者の方もいる。
できれば,自分たちの地区にプレハブの校舎を建ててほしいと願っている。
でも,市は仮設住宅優先と取り合ってくれない。
もし,登校中に地震があったら,津波があったら。不安だ。

そんななかでも,ありがたいこともある。
津波で学用品を流された子どもたちすべてに,新しいランドセル,学用品が届いた。
ぴかぴかのランドセルをもらった子どもたちの喜びようは,見ているこちらもうれしかった。
さらに,手作りの上靴入れ,バック。
一つ一つに子どもたちに向けてのメッセージがあった。
本当にありがたい。

教育に携わるものとして,今回の震災では,上に対しての疑問があまりにも多い。
それでも,現場の子どもたちに対しては,安心して生活できるように
自分にやれることをやっていきたい。

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